風のローレライ


第1楽章 風の警笛

4 恫喝


夜の道。バイクを走らせている間、平河はずっと黙っていた。住宅街の入り組んだ道はしんとしている。時々、遠くで鳴く犬の声と、わたし達のバイクの音しか聞こえない。そして、すぐ先の十字路を右から左へと突っ切る1台のバイク。それはFINAL GODのメンバーの一人、今井だった。平河もそのあとを追うように左へ曲がる。

と、その時、前方を歩いていた女の人が
「きゃっ!」
と、悲鳴を上げた。バイクの男にバッグを引ったくられたのだ。もちろん、やったのは今井だ。女の人はよろけてブロック塀にぶつかりそうになった。
「今井……」
平河が呟く。
「何てことを……! 平河、あいつを追って!」
わたしは叫んだ。
「でも……」
平河は返事に詰まっている。
「でもも何もないわよ! あいつを追って!」
「……わかった」
気乗りしない感じだったけど、平河はバイクのスピードを上げた。

そして、すぐに今井のバイクに追いつく。並んで走るバイクから、わたしは言った。
「ちょっと! そのバッグ返しなさいよ」
「何?」
今井は意味がわからないという顔をした。
「聞こえなかったの? さっき盗ったバッグを返しなさいって言ったのよ」
「おい、平河、こいつは何を言ってんだ?」
今井が言った。
「そのまんまの意味みたいだぜ」
平河が返事する。
「どうかしてんじゃねえのか? せっかく手に入れた戦利品を何で返さなくちゃなんねえんだよ」

「だって、それ、あんたの物じゃないでしょう?」
「だから何だよ?」
今井は険のある顔でわたしを睨んだ。
「だから、持ち主に返すの」
「ちっ! 平河、このうざったらしいチビを黙らせろよ」
今井が怒ったように言う。
「アキラ、無理だよ。今井さんに謝るんだ」
平河が情けないことを言った。確かに今井はメンバーの中でも腕力がある方だった。だからって何よ。わたしは引き下がらなかった。
「だったらいいよ。いやでもそうさせてやる」
わたしは心の中で、またあの風を呼んだ。呼んではいけない闇の風を……。

その風が何処に潜んでいるのか、わたしは知らない。でも、心で念じると、風はわたしの前に現れた。恐ろしかった風。真っ黒で人間の運命を呑み込んでしまう闇の風……。見えるといつも悪いことばかり起きて、わたしはその風を見るのが怖かった。
そんなもの見えなければいいのにと何度も願った。けど、闇の風は人間の街の何処にでもあって、いくら手で目を塞いでも、心は塞ぐことができずに、いつも怖かった。
でも、今、わたしはその闇をコントロールすることができる。闇の風はわたしに力を与えてくれる。何もできず、怯えてばかりいたわたしに力をくれた。もう、あのバカ親に怯えることもない。わたしには何だってできる。この闇の風の力を使えば……。

「さあ、そのバッグを持ち主に返すのよ」
わたしは言った。
「そいつはできねえな」
今井が言った。
「なら、おまえを縛る」
わたしは闇に命じた。風は長いロープのように伸びると今井の体にぐるぐると巻きついた。
「な、何だよ? こいつは一体……」
締め上げられて今井が驚愕する。
「そうよ。そのまま吊るし上げて」
わたしが言うと闇は縛りつけた今井の体を空中に持ち上げた。

「くそっ! 何なんだよ? 何もねえのに締めつけられ……!」
今井はじたばたと暴れた。
「無駄よ。バッグを返すと言わなければ絶対に外れないロープなんだから」
「まさか、おまえが……?」
今井がじっとこちらを見つめる。恐怖に怯えた瞳。
「さあ、バッグを……」
わたしが手を伸ばす。と、今井は口をパクパクさせて上体を仰け反らせて逃げようとした。逃げられるはずがないのに……。
「バ、バッグならやる。だから、命だけは……」
今井も見当外れなことを喚く。
「命なんか取らないわよ。だけど、わたしの命令は聞いてもらう。いい?」
わたしが言うと今井は人形のようにペコペコと何度もうなずいた。
「なら、許してあげる」
わたしは闇の風の力を解いた。

「一体何なんだよ? 今の……」
ようやくアスファルトの道路の上に下ろされて、今井がおどおどしながら言った。
「おまえって、ニュータイプ?」
今井はまだ体のあちこちを見たり、触ったりしながらわたしを見て言う。
「ちがうよ。けど、わたしには見えるんだ」
わたしは今井の後ろにある電柱を見て言った。
「何が?」
「社会に潜む闇の風……」
すぐそこにも闇があった。あの電柱の後ろにも……。けれど、誰もそれに気がつかない。今井も、そして、通り過ぎる車もみんな……。

「それって何だよ?」
今井は理解できないといった顔で平河に尋ねる。
「さあな。知んねえよ。けど、アキラにはそれが見えるし、使うこともできるんだってさ」
平河も同様に首を横に振って言った。
「つまりね、風の中に悪い風があって事故を起こすの」
わたしは言った。でも、彼らにはよく意味がわからなかったみたい。
「風? そんなのいつだって吹いてんだろ?」
「悪い風って言われてもピンとこねえよ」
今井も平河もあまりものわかりはよくないらしい。わたしは別の言い方をした。
「要は悪霊みたいなものよ。そいつが現れると人間に悪いことをするの」
「なるほど」
「そんじゃあ、アキラは陰陽師みたいなものなんだ」
今度は二人共、興味を示した。
「まあね。本当は随分ちがうと思うけど、普通の人にはない力を使うっていうことでは同じかな?」
わたしは考えながら口にした。

「へえ。すごいな。そんじゃあ、悪霊払いなんかもできるのか?」
今井が言った。
「うーん。それが闇の風なら多分できるよ」
「そうかあ。実はおれ、ガキの頃から霊感強くてさ」
今井が言った。
「よく墓場の前とかでさ、見ちまうんだよ。頼む! 何とかしてくれよ、キラちゃん」
そう言うと、今井はやたらと両手を合わせてすり寄ってきた。
「それはちょっとね。わたしは幽霊なんか見えないし、専門じゃないから……」
わたしが言うと、今井はがっかりしたように肩を落とした。

「でも、その闇の風の力ってのを使えば、さっきおれ達にしたようなことができるんだろ?」
平河が訊いた。
「そうよ。この力があれば怖いものなんかない。だから、ねえ二人共、わたしと組まない?」

「組むって言ってもなあ」
二人は互いの顔を見合わせている。
「組んでどうするつもりなんだよ?」
今井が訊いた。
「FINAL GOD』を乗っ取るんだとよ」
平河が言った。
「乗っ取るだって?」
今井がオーバーに驚く。
「無理に決まってんじゃんか、そんなの……」
今井はまだ、信用してないみたいだった。
「あんたってば、まだそんなこと言ってんの? だったら、もう一度吊るしてあげようか?」
わたしが言うと、彼は慌てて首を横に振った。
「わかった。信じるよ」
「だったら、いいわ。まず、そのバッグをあの女の人に返すのよ」
「ああ……。わかったよ」
今井が同意する。そこで、わたし達はもと来た道を戻ってあの女の人を見つけた。

「これ、お返しします」
今井が彼女にバッグを差し出す。
「あの……」
彼女は困惑したような表情でわたし達を見てる。
「中、確かめて」
わたしが言った。彼女がバッグを開けて一通りの物があるかどうかを調べている。そして、サイフの中も……。
「あります。お金もキャッシュカードも全部……。本当にありがとうございました。これ、少ないんですけど、お礼です」
と、彼女は5千円札を差し出した。
「いいのよ。そんなことしなくったって」
わたしが言うと、その人は首を横に振った。
「いえ。本当に助かったんです。これには、今日もらったばかりのバイト代が入っていて、これがなかったら、本当に大変なことになってたんです。だから、受け取ってください」

「もらっとけば?」
と、今井が言った。
「あんた、自分が盗っておいて図々しいわよ!」
わたしは言った。
「別におれが欲しい訳じゃねえよ。ただ、そういう気持ちがあるんならアキラにやって欲しいんだ。おれが、バッグを返す気になったのは、アキラに説得されたからなんだし……。それ、この子にやってもいいですか?」
今井がその人に訊いた。
「もちろんです。ありがとう」
そう言って彼女はそのお金をわたしにくれた。
「ありがとう」
わたしは素直にもらうことにした。
「それじゃ」
と、女の人は立ち去った。

「でも、いいのかな? こんなお金もらっちゃって……」
わたしが言うと平河が頷いて言った。
「おまえの気持ちが通じたんだよ」
「で? これからどうする?」
今井が訊いた。
「決まってるじゃない。FINAL GOD』の本拠地に殴り込みに行くのよ」


そして、わたし達3人は出発した。
「けどさあ」
並んで走るバイクから今井が言った。
「殴り込むったって、もっと人を集めてからの方がいいんじゃないのか?」
「何でよ? 今更、あんたってば弱気になったの?」
風が音を遮るので、わたしは少し大きな声で言った。
「そうじゃないけど……」
今井はぼそぼそと呟く。
「いや、確かにそうかもしれないぜ」
少しだけ振り向いて平河も言った。

「どうして?」
わたしには納得がいかなかった。
「いくらおまえに特殊な力があるからって、相手はこの辺りを統括してるボスなんだぜ」
「それが何よ?」
わたしは言った。けど、彼らには他にも何か心配なことがあるみたいだ。
「熊井はああ見えても、もとボクサーを目指してたっていう強者なんだ」
平河が言った。
「へえ。そうなんだ」
わたしは知らなかった。

「それだけじゃないぜ。浅田や横村だって、この辺りじゃ知らねえ奴はいないほど実力のある連中だ」
今井も付け足す。
「けど、そんなの怖がってたら何も出来ないじゃない。それに、熊井や浅田はわたしのこと可愛いって言ってくれたし、きっと言うこときいてくれると思うな」
背中越しに平河のため息が聞こえた。
「だから、おまえはガキなんだよ」
「ガキとは何よ!」
決めつけられてわたしは腹が立った。
「熊井って男は、前のボスから腕ずくで今の地位を奪い取ったんだ。そう簡単には手放さないよ」
今井が言う。
「だったらいっしょじゃない。わたし達だって腕ずくで奪い取ればいい」
並行した道路の脇を電車が走って行った。風圧で少し髪が靡く。

「それにさ、あとのことだってあるだろ?」
平河が言う。
「あとのこと?」
「おまえだって女の子なんだからさ。気をつけた方がいいと言ってんだよ」
「心配してるの? 大丈夫よ。わたしには力があるんだから……。何かされそうになったら逆に追い払ってやればいい」
「でも、万が一ってこともあるだろ? 特に横村はおまえのこと狙ってるみたいだし……。奴は女癖が悪いんだ。いざとなれば手段も選ばない卑劣な奴だから……」
平河は真面目にそんなことを言う。
「大丈夫よ」
わたしは繰り返した。でも、平河は強く言った。
「おれがいやなんだ」
「え?」
「もしも、おまえがそんなことになったら……おれがいやだから……」

「平河……」
冷たいはずの夜風が何故か少しだけあったかい気がした。そういえば、こうしてつかまっていると平河の背中もあったかい……。

――制服、用意してあるから……

裕也の手もあったかかった。どうしてだろう? 何故そんなことを思い出したのかわからない。

――このバカ娘! おまえなんか生まれて来なきゃよかったんだよ!

どうして今更、あんなバカ親の顔が浮かぶの? 忘れたいのに……。夜、バイクで風を切って走ると最高。いやなことみんな忘れられる。そう思ってたのに……。『FINAL GOD』――平河の背中の文字が霞む。人間ってもしかしたら……。
「キラちゃん?」
平河が言った。
「……ねえ、何か飲もうよ。わたし、喉が渇いちゃった」
心の中の何かをごまかすためにそう言った。
「じゃあ、そこの自販機で何か飲み物でも買おうか」
そうして、2台のバイクは無人の自販機の前で止まった。

「ほら」
平河がコーヒーをくれた。
「ありがと」
わたしはそう言って缶を受け取る。その缶は熱かった。でも、それを持った平河の指先は冷えていた。
「何だ? 気に入らないのか?」
平河が訊いた。
「別に」
「じゃ、何でじろじろとおれの方を見てるんだよ?」
「何でもないよ。ただ、平河の手って冷たいんだなあって思って……」
そう言うと、わたしは缶を開けて一口飲んだ。

「苦い……」
思わず言うと今井が笑って言った。
「だから、子供にゃ、まだ早いって言ったんだよ。ブラックなんてさ。いやなら、砂糖とミルク入りのと換えてやるよ」
「いいよ。平気だもん」
わたしは何も考えないようにして熱いだけの液体を飲み干した。
「無理すんなよ」
空になった缶を受け取って平河が言った。
「何よ、それ?」
わたしはそんな言われ方をしたのが不服だった。
「寒風にさらされたら手だって冷たくなる。心だって同じさ」
「平河……」

警笛が鳴っていた。上空を飛ぶ飛行機の音がやけに響く。
「行こう!」
わたしが言った。
「何処へ?」
平河が訊く。
「決まってんじゃん。熊井んとこ」
バイクの前でわたしが振り返ると、彼らはまだ、自販機の前に立ったままだった。
「何してんのよ、ビビッたの?」

「今日のところは家に帰れよ」
平河が言った。
「そうそう。やっぱ無理はよくないって……」
今井も言う。
「何でよ? 二人共、どうしてそんなに弱虫なの?」
「勢いだけじゃ勝てねえよ。やるんなら、ちゃんと作戦を練らないと」
平河がもっともらしく主張した。
「そうそう。行き当たりばったりでやったって失敗したら終わりだし」
今井も言う。
「それじゃ、どうするの? あんた達にいい作戦でもあるっていうの?」
形の見えない電車が闇の中を通り過ぎる。何処かでまた救急車のサイレンが鳴っていた。

「謀反を起こすのなら、いつだって出来る。けど、それを成功させるには綿密な作戦と下準備が必要だ」
平河がやけに難しい言い方をした。
「そうそう。もっと仲間を増やすとかさ」
今井が言った。その背後に見え隠れしている闇の風……。
「あんた、裏切るつもりでしょう?」
わたしが言うと、今井の影がビクンと震えた。
「そ、そんなことねえよ」
「怪しいな。あんたの後ろに闇の風が見えるもの」
「え? ええっ? 何処にだよ?」
今井はやたらとビクビクしながら周囲を見ている。

「ふん。やっぱりね。行こう、平河。こんな奴、とっとと見捨てて、わたし達だけでやった方がいいよ」
わたしが言うと、平河は呆れたように言った。
「どうしても今、行かなきゃいけねえのか?」
「そうよ」
わたしは先にバイクにまたがると彼を呼んだ。平河もついに諦めたらしく、すぐにバイクにまたがってエンジンを吹かした。
「あ! 待ってくれよ、キラちゃん! おれについてるって闇を払ってくれよ」
今井が情けない声で言った。
「払って欲しけりゃ、お寺か神社にでも行って頼むのね!」
不安そうな顔の今井を残し、わたし達は出発した。

本当は、わたしだって不安だった。闇の風には恐ろしい力がある。一番よく知ってるのはわたしだ。それが、少しくらい操れるようになったからって、必ずしもうまく行くとは限らない。わかってるよ、そんなこと……。ちゃんとわかってる。でも……。
「アキラ……」
平河が言った。
「何? 呼び捨てにしないでって言ったでしょ?」
わたしはわざときつく言った。
「ああ、わかった……。でも、何でなんだよ?」
「何でって?」
「何でそんなにこだわるんだ?」
「それは……」
闇が流れた。

「おれさ、ガキの頃からずっと白バイに憧れてさ、そいでバイクに目覚めたんだ」
唐突に平河が言った。何でそんなことを言い出すのか、わたしにはわからなかった。
「けど、親が反対してさ。母親は、おれをいい大学に行かせて省庁にでも入れたいらしかった」
「へえ。いいお母さんじゃない。息子の将来を心配してるなんて……」
「そうだな。母方の爺さんは役人だったらしい。それで、おれもいっぱしに受験勉強させられて、一応、名門と言われる高校に入ったけど、何かが違うんだ」
「違うって?」
「おれが求めていたものはこれじゃないっていうか……」

「それで、平河は『FINAL GOD』に入ったんだ」
「まあな」
冷たい夜の風がなびいている。何処までも続く闇のリボン……。夜って一体何で出来てるんだろう? 何処までも広がる黒い空は……。
「贅沢な悩みだよ、そんなの……」
わたしは言った。
「子供のことを心配してくれる親がいるのに、何ですねてるの?」
「確かに、母親だけならね。口うるさくておっかない親だけど、おれのことを思ってくれてるんだってことはわかるよ」
声のトーンが下がった。

「でも、父親は最悪な奴でさ。いつもおれや母親に暴力を振るって……生傷が絶えなかったんだ」
「平河……」
「だからさ、おれ、おまえの気持ちがわからなくもないんだ」
ヘッドライトが道の先へ先へと光を当てる。
「強くなりたいというおまえの気持ちが……」
「わたしは……」
けど、わたしの言葉を遮って平河は続けた。
「おれだって、何度思ったかしれないよ。力が欲しいって……。強くなって父親をやっつけて、母さんを守るんだって……。でも……」
「逃げだよ」
わたしは言った。
「何?」
「そんなの逃げだよ。逃げたって何も変わらない。勝ち取らなきゃ、何も変わったりしないんだ!」

そうだよ。何も変わらない。いつだって信じられるのは自分だけ……。先生だって友達だって、いざって時には、てんで頼りになんかならないんだ。

――あんなだらしのない家の子と遊んじゃだめよ
――アキラと遊んだりしてるとバカになるぞ
――あいつ、いつも同じ服ばかり着てるんだ。服持ってねえのかな?
――可哀想にね。親があんなだから、あの子もろくな者になれないでしょうよ

「やめて!」
わたしは怒鳴った。
「どうしたんだよ? 急に……」
平河が言った。
「何でもない。あんたがくだらないこと言うから……」
わたしは、平河の背中に顔を押し当てた。
「くだらなくないだろ?」
少しきつい調子で彼が言った。
「おれはいやだから……」
「どういう意味?」
思わずそう聞き返した。
「無謀なことはよせ」

また何処かで踏み切りの警報が鳴っていた。フラッシュする赤……。でも、それは、心の中の警報かもしれなかった。いつも赤信号のまま、いつまでも渡れずに立ち止まっていたわたしの心の中の警報……。でも、今日は違う。今までのわたしとは違う。わたしは運命を変えたいんだ。このまま流されるなんていや!

――親がああだから、どうせ子供もろくな者にならないよ
――蛙の子は蛙ね

いやらしい笑いと好奇の目が渦巻いていた……。あんな大人になんかならない。あんなおばさんや家のバカ親みたいになんか、絶対にならないんだ!

「運命って信じる?」
そう平河に訊いた。
「運命?」
「そうだよ。ねえ、信じる?」
「いや。占いみたいなものは信じないよ」
「占いじゃないよ」
「アキラは信じてるのか?」
「ううん。でも、大人が言うんだ。家の親がだらしないことしてるから、わたしもきっとそうなるって……」
「そんなことねえよ。親は親だし、キラちゃんはキラちゃんだろ?」
「そう。だから、わたし、変えてやりたいの。運命なんてものがあるなら、この手でへし折ってやるんだ」
「それには賛成だな。おれも、敷かれたレールの上を走るだけの運命論者にはなりたくないからな」
「そうでしょ? だから、一緒にやろうよ」
「え?」
「自らの手で運命を切り開くの」


道路沿いにずっと長いフェンスが続いていた。敷地の中には、四角いコンクリートの建物が幾つも並んでいる。
「ここってもしかして……」
わたしは街灯に照らされたその建物を見た。
「姫百合中学校……?」
わたしが言うと、前から声が響いた。
「ああ」
その声はくぐもっていた。きっと風のせいだ。
「おまえ、ここの生徒なんだろ?」
平河が言った。
「うん……」

誰もいない闇の中の校舎は、やっぱり何処か不気味で異形の臭いがした。白い壁がくすんで、少しひび割れた黒い稲妻が走っている。この間、裕也達と会ったばかりの庭も、今はしんと静まり返っている。
「ジャングルジムに登りたい……」
ふと呟くと、平河は真面目に言った。
「なら、中央公園に行こう」
「ここにはないの?」
わたしは中学校の方を向いて言った。
「え?」
平河は意外そうな声を出した。
「そんな物、普通はないだろ? 中学にはさ」
「どうして? だって小学校にはあったよ。シーソーやブランコや、それに渡り鉄棒だって……」
それを聞いて、平河は笑い出した。

「ちょっと! 何がおかしいのよ」
わたしはそんな彼の態度が気に入らなかった。
「あはは。ごめん。けど、可愛いなと思ってさ」
「もうっ。どういう意味よ」
「中学には、そんな遊具なんて置いてないんだ。休み時間だってそんなに長くないから、次の授業の準備で終わっちまう。昼休みには委員会なんてのもあるし、外で元気に遊ぶなんて感覚なくなるんだよ」
「ふうん」
中学生が大人っぽく見えるのは、単に制服着てるからだけって訳じゃないんだ。わたしは、そんな風に大人の顔をしている校舎のことがうらめしくなった。

早く大人になりたい……。
でも、ほんとはもう少し子供のままでいたい……。
どっちつかずの心のままで、バイクは中学校の境目の十字路を曲がった。


公園に近づくと、何故か胸騒ぎを感じた。
何だろ? この感覚……。
夜の街に闇の風が流れてく……。
細くうねった龍のような闇が集まってゆく。何故……? わたしはその闇の中で確かに悲鳴を聞いた。
「平河!」
思わず大声で呼んでしまった。彼は一瞬驚いたように振り返って言った。
「何?」
「お願い! 今すぐ引き返して」
わたしは言った。
「何だよ。中央公園に行かなくていいのか?」
「いいの。だってそこには……」
そう言い掛けた。でも……。

「ううん。やっぱり行って!」
「おい、どっちなんだよ?」
平河が訊いた。
「行って! お願い。何だかいやな予感がするの」
「いやな予感?」
「うん。よくわかんないけど、でも、急いで行かなきゃって気がするの。だって、こんなにたくさんの闇が集まってるんだもの。きっと何か悪いことが起きてるにちがいないよ」
辺りは不気味なくらい静かだった。ほんとに何事もなければいい。そう思った。